コロナ禍において工場では生産が落ちたが、ある程度戻ってきた。人が減らされた分足りなくなり、今度は補充する状況だ。そこであてにされるのが派遣社員。
すぐさま教育をして一人前に育てる必要がある。工場の仕事は作業自体は難しくないので誰でもできる。いや、このような生産変動に備えて、誰でもできるようになっている。
最近人の教育を部下に任せることがあって思うことがあった。
何も知らない新人に対して、どのように教えるか。新人は教えてもらうしかない。何も知らないので話を聞くしかない。
教える人、教わる人。ここで衝突が起きる。
立場をわきまえること。役割を認識すること。
教え方が気に入らない。ちゃんと教えているのにやってくれない。 双方の言い分はそれぞれある。
教える人、教わる人。それぞれ立場がある。
教わる人は、必然的に立場は弱くなってしまう。教える人の方が立場は上になる。
ここで大切なのは与えられた役割。
それぞれの役割は、教わる人は早く仕事を覚えること。
教える人は仕事を覚えてもらうこと。早く一人前に育てることだ。
立場と役割を考えてみれば、何をするべきか分かると思う。
やるべきことは衝突することではない。
自分のポリシーを貫くのは大いに結構だが、与えられた役割を全うしなければ、ただのワガママにすぎない。
相手の立場に立って考える想像力はあるか?
この新人とベテランのちょっとした衝突をみて思った。
相手の立場に立って考えるということ。僕が働く工場で見ても圧倒的に足りていないと感じる。
少しの我慢もできない。一時の感情を俯瞰する胆力が足りない。どこかみんなが自分勝手だと感じる。
自己主張だけで相手の立場になって考えるということがない。そういった想像力が欠如している。
みんなが自分勝手だと組織なんて回らない。みんなそれぞれ自分の役割を認識して行動する必要がある。そして他者を思いやる気持ちが大切なんだと思う。
思えば競争で勝つことを当たり前として育った僕たちは、いつしか心が貧しくなってしまったのかもしれない、とか考えてしまう。
『社会に貢献したお返しに給料をもらう』のではなく、
『金を稼ぐために仕方なく働いている』という価値観になってやしないか。
こうなると何でも損得勘定で考えるようになる。すると、面倒なことはやらないし、金にならないことはやらなくなる。
人に対しても思いやりはなくなり、見返りを求める。
上手くできないのは自分のせいではない。教え方が悪いのだ、となる。
なんでも合理的に考えるのが資本主義社会だ。このなかで、一見金にならない、相手の気持ちを考えることや、他者を思いやることは実は大切なのだ。結果的に自分にプラスになって帰ってくる。心を豊かにするのだ。
合理性だけを追求して心を貧しくする必要はない。
日々仕事でしっかりと社会貢献してお金をもらい、そして心のほうも豊か育てていきたいものだ。
それでは、また明日!