僕は仕事の立場上、部下を持っており、仕事の悩みや問題などを聞く。業務上個人個人に面談もする。
部下との面談で気になることがある。それは、仕事の愚痴と、仕事の問題点をごっちゃにしてないか?ってことだ。
誰かのせいにしたときに、その指先はどちらの方向に向いているか?ってことだ。
自分が苦手なことと向き合う
そもそも昔の僕は面談をするのが嫌いだった。苦手だったのだ。人様に対してうまくアドバイスができるか不安だった。悩みや愚痴を聞いて、自分の感情がネガティブの方向に引っ張られるのも嫌だった。自分のなかにネガティブな感情を入れられるのが嫌だったのだ。どんな悩みでも聞いてあげて、解決策を提示してあげないといけないって思っていた。
自分を着飾ったり、変に上司ぶったりする必要があると勘違いしていた。
今となれば結局そんなものはどうでもよいとわかった訳だが。
きっかけは自分が苦手なこと、自分自身の弱みと向き合うことだった。
僕の場合、自己肯定感が低かったから、自分が曲げられてしまうような機会からは意識して離れようとした。単に自分に対して自信がなかったのだ。
自分自身の弱みと向き合うことで、やるべきことが見えてくる。
僕の場合、自己肯定感を高めることだった。
それは自分自身を鍛えることに繋がっていった。
結局、言葉でその場をうまいこと着飾っても、人の中身なんて接していれば分かる。
自分をさらけ出して接すればよいだけだったのだ。その方が自分が本当に思っていることが話せるので人に伝わる。未熟な自分のままでよいのだ。未熟な自分でも自分から出た言葉なら学びにもなるのだ。
そう思えるようになったのも、自分を鍛えるようになってから。
要は自分自身の弱みを知ること。そうすればやるべきことは見える。あとはやるだけなのだ。
誰かのせいにしますか?
問題を人のせいにすること。
やる気が出ないことや、うまく行かないことを人のせいにしてしまう。
その件は、最終的に『でも、あの人が…』と、なる。全て周りの環境や人のせいにしてしまう。
自責で考えたときに、自分でやれることはある。それもせずに人のせいにするのはただの逃げである。
指を差して誰かのせいにしたとき、人差し指は相手に向かっているが、
三本の指は自分に向いてるってやつだ。
自責で考えて行動しなきゃ、結局また指を差す対象が替わっていくだけで、最終的には自分に向いてるって訳だ。
最大限自分が頑張ったけど、誰かのせいで変わらないのなら、人のせいにしてもいいのかもしれない。でも、何もやらず、自分を守るためだけに誰かのせいにしているなら、ただの言い訳。ただの愚痴。
仕事の愚痴なら飲み屋で聞きます。
良くするための方法に悩んでいるなら、相談にのります。
仕事の愚痴と仕事の問題を混同してはいけないって訳。
当たり前のようだが、意外と混同している人が多い。
職場の問題を話すよう促すと、延々愚痴が始まる場合が多い。
僕も、愚痴っぽくなることは当然ある。
ただの愚痴で終わってしまうことがないようにしようと思う。
自分の愚痴は何からくるものなのか?
しっかり自己分析して次につながる行動に結びつけて行きたい。
それでは、また明日!