僕は一部上場企業の工場に勤めている。バリバリの製造現場だ。
僕の周りに、精神的に病んでしまい、会社を長期で休んでいる人や休んでいた人は、パッと思い付くだけでも8人はいる。だいたい100人くらいのチームだから、8%は病んでいることになる。異常である。
これだけの人が会社を休む。理由は仕事が面白くないところから来ている。人は何のためにやっているのか分からないことを延々やらされたら、すぐに嫌になる。
誰かが嫌だとか、仕事が大変だとか、そんなことで人が仕事が嫌になるのではない。やりがいのない仕事を延々やらされるから、人はやる気がなくなる。
僕はものづくりの現場の責任者だ。精神を病んでしまう人は、生産に直接携わっていない人ばかりだ。直接手や足を動かし、体を使ってモノを作っている人は病まない。そこから昇格で立場が変わり、間接的に現場に関わるようになると、精神的に病む人が出てくる。今までは決められた通りの作業をこなすのが仕事だった。そこから、様々な管理業務や現場改善をやるようになると、病む。
やる意味が分からないことを延々とやらされる
朝起きて、朝御飯を食べて出社する。朝の時間は渋滞するので早く来て駐車場の車の中で寝る。仕事が始まれば、あっという間。何のための仕事かも分からない、ムダな仕事をさせられる。昼御飯を食べて、同僚と愚痴を言い、また仕事する。工場を出るとすでに暗くなっている。今日も残業だった。家に帰り、睡眠時間を削りたくないので、急いで夜ご飯を食べ、急いでお風呂に入り、寝る。
こんな人生を送っていて楽しい訳がない。
しかも、仕事中にやっていることはムダな資料づくりや、発表用のムリなルールづくり。
この無意味な仕事がなぜ生まれるかメカニズムは理解している。誰も止められないのだ。
多くの成功者が、好きなことを仕事にしろと言う。
疑問がある。
では、世界中のすべての人が好きなことを仕事にしたらどうなる?
社会は回っていくのだろうか?
料理が好きな人はお店を開く。人のめんどうを見るのが好きな人は人のめんどうをみる。ものづくりが好きな人はものづくりをする。交通整理が好きな人は交通整理をする。ゴミを回収するのが好きな人はゴミ回収をする。…?
少なからず誰かの犠牲の上に成り立っているのが資本主義。
『仕事は嫌でも金のために我慢してやる。』ではなく、みんながやりたいことをやる。困っているなら助け合う。そんな理想な社会がくればいいなと思う。まあ今の資本主義社会ではムリだろうが。
いらない仕事はどんどん淘汰されればいい。それで職を失ったって別にいいだろ。
周りの人たちが病気でいなくなっていくよりはよっぽどマシである。
一緒に頑張ってきた仲間が、目から輝きがなくなっていき、会話も減って、やがては会社に来なくなる。
こんなに寂しいことはないのだ。
【今日のおわりに】
最近のブログは愚痴っぽい。ネガティブな話題が多い。
楽しいことだけやって生きていきたい。好きなことだけやって生きていきたい。
明日は今日より笑おう。
それでは、また明日!