やりたいことをやる。当たり前のようで難しい。それを教えるのはもっと難しい。
僕の子供はピアノを習っている。双子の女の子だ。はじめは本人がやりたいからって始めた。でも今は本当につまらなそうに練習している。毎日30分は練習することにしているが、つまらなそうにして時間を潰しているだけだ。いつも爪を気にしている。
僕は嫌ならやめればいいと思っている。無理矢理我慢してやることはない。やりたくなければ、やらなきゃいいのだ。
だけど同時に思うこともあった。それは、やり続けて欲しい気持ちだ。今は嫌かもしれないけど、粘り強く、やり切って欲しい。そうすればやがて楽しくなる、と思っていた。
大人になるまでに、やりたくないことをやらなきゃいけないことだってある。
何事もうまくいかないことだってある。
一度自分で言い出したのだ。最後までやりきれと。自分の言葉に責任を持つこと、やり続ければ楽しさを見つけられること、を教えるべきだと思っていた。
ちょっとできないからって、すぐにあきらめるな。あきらめない気持ちも大切だ。
面白くないことがあったら、すぐに逃げ出すようになって欲しくない、という想いからだった。
やりたいことなら困難も楽しい
嫌なことを無理矢理続けるのは苦痛だ。
でも、大人になったら嫌なことだってやらなきゃいけない。
でもそれを学ぶのは、もうちょっと先でもいい。と、思うようになった。
双子の片割れは男の子なのだが、少年野球をやっている。この子は野球が大好きだ。だから、野球の練習でうまくいかないことがあったり、こっぴどく叱られても全くへこたれない。泣くくらい悔しそうにしているが、うまく出来なくても楽しいのだ。家でもボールとグローブは離さない。
それで女の子の方を見ていて思った。やっぱり楽しくないならやめればいいと。
嫌なことでもやらなきゃいけないことは、この先、他のことからも学べる。
それに大人になって嫌なことをやらないように生きていくことだって選べるはずだ。
本当にやりたいことなら、困難も楽しめるもの。
困難を乗り越えた時の喜びやうれしさを知れば、より一層楽しくなる。
自分の成長も感じられるようになる。
今は色んなことを経験した方がいいと思うようになった。
我慢、我慢は勤め人マインドか
特に大人になって、勤め人になると、やりたくないのにやらなきゃいけないことだらけだ。
だから我慢を教える姿勢は勤め人の教育姿勢なのかもしれないとも思った。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶのは労働者のマインドなのだ、と。
資本家なら、やりたくなければやらないかもしれない。自分はやらず、人にやらせるかもしれない。
何も分からない子供にとって、親の教育方針はその子に影響を与える。
それなら僕がホントに教えたいことは何か考えると、やりたいことをやれってこと。
やってみて、自分に合わなければ他にまた何か始めればいい。
忍耐力がない? 飽きっぽい?
いや、行動力があるのだ。何にでも挑戦するチャレンジ精神に満ち溢れているのだ。
そう思い、子供に伝える。
僕『そんなに嫌ならピアノやめてもいいよ。』
子『やめない!(即答)』
女の子は少し怒った口調で言ってくれました。よく分からん。
親の心、子知らず。
というわけで、とりあえず学年が上がるまでは様子を見ようと思う。
冒頭で書いた文は、
『やりたいことをやる。当たり前のようで難しい。それを教えるのはもっと難しい。』だ。
だが、子供はそんなことすでに分かっている。やりたいことをいつも夢中にやって笑ってる。
大人の色メガネでみるから、難しくなる。大人の感覚を教えようとするから難しくなる。
そんな気がした。逆に子供に教えられた気がした。
子育ては学びが多い。
それでは、また明日!