自分の今感じていることを言語化すること。普段何気なく生きていると、自分の感情を言語化することはない。なんとなく思って、なんとなく感情に流されてしまう。
男は無口の方がいい。僕はそんな価値観で育った。「男は黙って背中で語る」ばりに、ものは言わない。
物言わぬことは一見思慮深く見えて、実は深く考えていないだけ。
いま言語化する能力が必要だ。
言葉にしない大人たち。言葉にできない子供たち。
僕が勤める工場ではこんな空気がある。
「なんとなくわかるだろ。」
「空気読め。」
言葉にせずとも感じとれ。考えるな、感じろ。の世界。
守るべきルールはあるのだが、いつでもみんながバカ正直に守ることはない。
回りの空気を読んで行動することが普通なのだ。うまいことやれ、の世界。
昔の僕も先輩方から細かいことを聞いても納得できないことが多かった。自分の理解が足りないのかと思うときもあったが、今思えば言葉が足りていなかった。言葉にできていなかっただけだ。説明が悪いのだ。
上司や先輩は言葉にしないのではなく、自分でもうまく言葉にすることができなかったのだ。
これは、自分が今その立場にいるからよく分かる。
言葉にしない大人たちは、実は自分の感情を言葉にできない子供たちと同じなのだ。
自分の思った通りに伝わらないことを知る
感情に任せたまま発言するリーダーは陳腐にみえる。なぜ怒っているのか?説明しないと伝わらない。
怒っているのと仕事で熱いのは違う。怒りと情熱は違うのだ。
もちろん情熱ゆえに怒ることもあるだろう。だが、言葉が足りなければ、なんだコイツとしかならない。
叱るのと怒るのは異なる。
ちゃんと言葉にして説明する必要があるのだ。
思えば誰かに何かを伝える技術は訓練したことはない。僕の場合、子供が産まれ、教育するなかで、いかに自分の言葉が分かりにくかったか知った。難しい言葉は使えない。やさしい言葉を選んで分かりやすく伝えなきゃいけない。今までどれだけ言葉足らずで伝えているかがよく分かった。
自分の感情に対しても『なぜそう感じたのだろう?』を分解して言葉にすることはなかった。
自分の感情を言語化する
普段色んな場面で感情をもつ。重要なことは、その感情に気付き、なぜそう感じたのか、と感情を言語化することだ。
なんでこんなに嫌なんだろう?
なんでこんなに腹が立つんだろう?
なんでこんなにおもしろくないのだろう?
言語化することは物事を俯瞰して見ることになる。そこから得た学びや気づきで自分を成長させることができる。
自分がネガティブな感情を抱いたとき、自分のなかにある弱さや、譲れない信念に気付く。
自分がポジティブな感情を抱いたとき、自分の自信の根っこや、強みを知る。
そして他者に対してもやさしくなれる。
感情は成長のきっかけになる。日々感情を持つから、日々言語化して、日々成長することができる。
毎日が気付きの連続。
毎日が成長の糧になるわけ。
それでは、また明日!